ポテトチップスと過ごした大学生活
あまり意欲的な学生ではなかった
社会にでる猶予が欲しかった
今思えば、そうだったと思う
思い出はバイト
バイトは某牛丼チェーン
まかないつき!
デブには最高の職場笑
朝から晩まで働いたこともあった
昼ごはんは牛丼大盛り
夜ごはんは豚丼大盛り
帰ったら、母の夜ごはん
一日、4食とおやつ
かなりの重労働だったけど、
しっかり食べているから痩せるはずもない
ただ、それでもまだ3桁には届かない
ポテトチップスと過ごした大学生活
あまり意欲的な学生ではなかった
社会にでる猶予が欲しかった
今思えば、そうだったと思う
思い出はバイト
バイトは某牛丼チェーン
まかないつき!
デブには最高の職場笑
朝から晩まで働いたこともあった
昼ごはんは牛丼大盛り
夜ごはんは豚丼大盛り
帰ったら、母の夜ごはん
一日、4食とおやつ
かなりの重労働だったけど、
しっかり食べているから痩せるはずもない
ただ、それでもまだ3桁には届かない
おむすびの会に参加した
佐藤初女さんという方のおむすびの結び方
お米の研ぎ方から
水加減、結び方にいたるまで
今までのものとはまったく違った
その方法もさることながら、
それよりも、
食材との向き合いかたに感動した
食べることは生きること
分かっていると思っていたけど、
思っていただけのように思う
いのちをいただくという
感謝の気持ちをもちながら結ぶおむすびは
かむほどに味わい深く
分かち合いたくなるおむすびだった
3月に京都に行く予定だった
お気に入りのセレクトショップで
お洋服を買うことが楽しみだった
私の仕事のモチベーションにつながるから
友だちとあーだこーだ言いながら
着せ替え人形みたいにいろんなお洋服をきて
お気に入りを見つける
新しい自分に、今までとは違う自分に
なれた気がするから
その楽しみの旅行をキャンセルした
なんといって断ろうかと考えたけど、
正直に今の家庭のことを話した
誰にも言えなかったこと
相談したわけではないけど、
誰かに言えたということは、
自分の中では大きなことだった
何も解決していないし
何も変わっていないけど
なんだかよかった
不思議な気持ちにつつまれた
物心ついたころからのおでぶちゃん
幼い頃は、
ぽっちゃりしてかわいいねー
とよく可愛がられた
いい顔してーっと言われて
にかーっと満面の笑みを浮かべると
みんながうれしそうに笑ってくれるのが
私もうれしかった
小学校高学年からは、
ぽっちゃり→肥満児
に周りの目が変わっていくのを感じた
そう、いわゆる「デブ」
一人呼び出されて、
保健室で毎月体重測定させられた
嫌だった
中学はソフトボール部
高校はハンドボール部
運動は嫌いじゃない「走れるデブ」だった
なにより、動いた分、食べられるんだ
食べても、太らない…
いや、食べてもあんまり、太らなかった
ただ、高校の部活引退後、
運動しないのに食生活は変わらないので
半年で10キロ太り
卒業式に制服がパツパツで恥ずかしい思いをしたことは
忘れられない苦い思い出だ
大学時代に入り、バイトを始めた
自分で自由にできるお金が増えた
今まで食べたかったけど、食べなかったものを
いろいろ買って食べた
学食でランチしたら、デザートのプリン
暑い日は、アイスクリーム
小腹が空いたらポテトチップス
後になって大学時代の友人に、
私といえばポテトチップスだなぁ
と言われるほどだ
私はほぼ毎日ポテトチップスを一袋食べていた
それでもまだ、3桁の大台には届かない
私の102キロまでの道のりはまだまだ長い笑
嘘には2種類ある
人を傷つけるための嘘と
人を傷つけないための嘘と
人を傷つけないための嘘は
時に後者は
相手だけでなくて
自分を傷つけないための嘘でもある
それを
White Lie
というそうだ
優しい嘘
でも、それも自分にとって、というだけで
相手がどう受け止めるかわからない
やっぱり嘘は、
どんな嘘もつかないことにこしたことはない
生きていくのにはお金が必要だ
でも、なぜお金が必要なのか?
手に入れたいものを手に入れるために買う
でも、欲しいものを自分で作れたり、できたりしたら、
お金はかからない
野菜を作れれば、野菜を買わなくてもいい
車を修理できれば、修理してもらわなくてもいい
そう、自分にできないことを
誰か(お店)にしてもらう
サービスの対価としてお金は必要なだけだ
私が幼いころ、
母はなんでも作ってくれた
服も、ごはんも、おやつも…
どうやら、我が家は貧しかったらしい
らしい、というのは、
自分はそんなふうに感じていなかったからだ
先日、お酒を飲んだ母がつぶやいた
家を買って、父が病気になって
あの頃が一番大変だったと
実家から届くお米や野菜にとれだけ助けられたかを
でも、私は
貧乏だと感じたことはなかった
足りないと思っことはなかった
それは、母が作れる人だったから
今、限られた収入のなかで
あれこれ考えると
あれが買えない、ちょっと我慢…
そんなふうに考えるけど、
同時に、作れないかな?とも思う
これならできそうってレシピを探して
作ってみる新しい自分がいる
これは、できることが増えるチャンスだ
お金持ちになりたかったけど、
お金持ちにならないほうがいいかもなって
ちょっと思った瞬間だった
私には相談できるような友はいない
そう思っていた
昔から人の話を聴くことのほうが多かったように思う
でもそれが「相談」という認識はなかった
アドバイスするわけでもなく
ただ、話を聴く
なんとなく話しやすい
そう言われることが多かった
うなずいたり、相槌をうったり、
割と自然にできていたから、
ほどよいその反応が話しやすさに繋がっていたみたいだ
「相談」
そう考えると、とてもハードルが高くなる
でも、実際は
相談しようと考えながら
言語化することで、
心の整理を自分でつけているように思う
ただし、それができるのは
相手を信頼して、心を開けなければできない
そう、私には相談できる友だちがいないんじゃない
ただ、私が心を開いて
言葉にする勇気がないだけだった
そしてそれは、
心のの奥にある
まだ受け止めれない自分の結論を
受け止めたくないからかもしれない
覚悟というキーワードを昨日だした
何かを選択するとき
どうやって決めているか
Aを選択した場合は…?
Bを選択した場合は…?
とそれぞれをイメージする
それが自分にできるかどうか
自分がその結果に耐えられるかどうか、と
物事にはいつもいろいろな側面がある
Aを選択しても
Bがよかったと思う瞬間はきっとあるだろう
逆にBを選択しても
Aがよかったと思う瞬間がきっとあると思う
それでも
「これでよかった」と言えるかどうかは
そう決めて進んできた自分を
信じてあげられるかどうかだ
自分の選択を
良きと判断するも悪しと判断するも
結局は「自分」
それなら、
よかったところは、そのまま生かして
課題だと、ダメだったと思ったところは
これからのために修正する
失敗ではなく経験として
何をするにも決定しているのは自分
誰かに言われたとか
アドバイスをもらった通りにしたとか
これしかなかったとか
思うことはいっぱいある
それでも、最後に
やる ・ やらない
を決めて、行動する(した)のは自分だ。
やる選択も
やらない選択も
悩み続ける選択も
全部自分がしている
もしあなたがなにか迷っていて
決めかねているなら
あなたに必要ないものは、
きっとどんな結末も受け入れるという覚悟だけ
その覚悟さえ決めるのは自分
今までの自分から
何かしら気持ちが変わったり
見た目や雰囲気が変わると
なんだか以前の自分を知る人と会うことか
こしょばゆいというか
緊張するというか
それがプラスの変化なら
最初の数分でそれも解消する
でも
それがマイナスな変化だったらどうだろう…?
経済的に今までどおりではなくなって
電卓を何度も何度もたたいては一喜一憂して
何かに誘われると苦しくなって
旅行の予定をキャンセルしなくてはならない
でもそれは
自分のプライドが邪魔してるだけ
断ることが申し訳ないとか
一緒に行けないことがつらいとか
それよりも
余裕ぶってた自分に余裕がなくなったという
ちっぽけなプライドが
自分が自分を窮屈にしてるだけ
さぁ、この壁を乗り越えることができるだろうか
満月の日に考えていたこと